居合道『継正会』のホームページへようこそ
“私達と共に居合道に触れてみませんか”
先ず、居合道を楽しむことから始めてみましょう
健康法として、人との交流に、ストレス解消に、趣味として、など
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3【居合道継正会の目的と活動概要】
居合道継正会は、平成25(2013)年4月に発足した夢想神伝流を学ぶまだ新しいグループです。日本の伝統文化である武道の一つである居合道を、正しい形で継承することを目的にしています。居合に興味を持つ皆さんと共に学び、現代武道としての居合道の在り方を考える会でありたいと考えています。
所 属: 全国居合道連盟関東地区会支部
流 派: 夢想神伝流居合道
指導者: 栗林 征喜師範(八段)
稽古日: 平成29年2月より原則として、毎週木曜日
時 間: 19:00~20:15
場 所: 六角橋中学校格技場
居合は、古来日本人の魂とされてきた日本刀の操作方法を学ぶ中で心身を鍛える武道です。日本刀を一定の想定動作に従って、“抜き”⇒“振り”⇒“納める”、という動作を行います。この想定動作は数十通りの「業」として存在しています。それらの業を日々反復稽古することで熟練度を上げて行きます。
初伝 正座 ・・・・・ 大森流
1 初発刀(しょはっとう) <前>
2 左刀(さとう) <左>
3 右刀(うとう) <右>
4 当刀(あたりとう) <後>
5 陰陽進退(いんようしんたい) <八重垣;やえがき>
6 流刀(りゅうとう) <受流;うけながし>
7 順刀(じゅんとう) <介錯;かいしゃく>
8 逆刀(ぎゃくとう) <附込;つけこみ>
9 勢中刀(せいちゅうとう) <月影;つきかげ>
10 虎乱刀(こらんとう) <追風;おいかぜ>
11 抜打(ぬきうち) <抜打>
12 陰陽進退替業(いんようしんたいかえわざ)
中伝 座業 ・・・・・ 長谷川英信流
1 横雲(よこぐも)
2 虎一足(とらいっそく)
3 稲妻(いなづま)
4 浮雲(うきぐも)
5 颪(やまおろし)
6 岩浪(いわなみ)
7 鱗返(うろこがえし)
8 浪返(なみがえし)
9 滝落(たきおとし)
10 抜打(ぬきうち)
早抜き(はやぬき)
奥伝 ・・・・・ 重信流(林崎流)
座業
1 霞(かすみ) <向払;むこうばらい>
2 脛囲(すねがこい) <柄留;つかどめ>
3 四方切(しほうぎり) <四角;しすみ>
4 戸詰(とづめ) <三角;みすみ>
5 戸脇(とわき) <向詰;むこうづめ>
6 棚下(たなした) <棚下>
7 両詰(りょうづめ) <両詰>
8 虎走(とらばしり) <虎走>
立居合
1 行連(ゆきずれ) <行連>
2 連達(つれだち) <連達>
3 惣捲(そうまくり) <五方切;ごほうぎり>
4 総留(そうどめ) <放し打;はなしうち>
5 信夫(しのぶ) <夜の太刀;よるのたち>
6 行違(ゆきちがい) <行違>
7 袖摺返(そですりがえし) <賢の事;けんのこと>
8 門入(もんいり) <隠れ捨;かくれすて>
9 壁添(かべぞい) <人中;ひとなか>
10 受流(うけながし) <請流、弛抜;ゆるみぬき>
12 暇乞(いとまごい)1 <抜打;ぬきうち>
暇乞(いとまごい)2 <抜打;ぬきうち>
暇乞(いとまごい)3 <抜打;ぬきうち>
敵の不意の攻撃に対して、一瞬を置かず居合わせて抜刀し、鞘離れの一刀で勝負を決める剣技が居合です。
『居合』は双方抜刀した状態からの勝負である『立合』の対義語であり、「居」は"座った状態、立った状態、構えない状態"における"居ながらにして"を指し、「合」は"応じる、対処する"を意味します。すなわち、居ながらにして通常の状態である納刀状態から対処する剣技で、抜刀後の構えから始まる剣術とは異なります。納刀状態から応じる初太刀の「抜き付け」が居合の本質であり、初太刀が不十分であれば後に続く太刀打ちが優れていても居合の観点からは評価されない。納刀状態からの初太刀は極めて重要とされています。
居合の始まりは奈良時代とも平安時代ともいう説がありますが、業が体系化されたとされるのは1500年代後半からで、林崎甚助を始祖として現在までに伝えられ、すでに数百年経っています。過去の時代においては、剣は格闘のための手段として位置づけられていたと考えられます。したがって、居合は「敵の不意の攻撃に対する」有効な手段として、剣技のエキスとしての意味合いを持っていたと想像されます。
一方、江戸期の平和な時代に入ると共に、剣は禅と結びつき、剣技に精神修養の一面が加わるなどの変化を見せながら、現在に伝わってきました。精神性が加味されても、元々持っていた“斬る”行為すなわち格闘に関わる面は保持されてきたと考えられます。
斬る行為は、そのものが現在においては許されない破壊行為に他なりません。居合発祥の時代のように、「殺すか殺されるか」という人の生命に対し厳しい中においては、格闘技としての居合は不可欠であったと考えられます。しかし、現在においては既に許されない行為・考えであり、斬ることに中心をおく居合は「現代武道」として成り立たないことを理解しなければなりません。すなわち、私達現代人が学ぶ居合道は格闘の概念から脱する居合でなければなりません。
居合は体系化されて数百年の間、様々に工夫・考案され且つ練られて現在に伝わり、長い時間をかけて「人の命を見つめてきた」歴史を持っています。このことは居合を見る場合の重要な点だと思います。現代に修業する我々は、命を見つめてきた精神性を理解し、現代の居合を学び研究して行くことが求められています。「現代武道における居合道」を見つめ、後世に伝えて行く姿勢が重要だと考えます。これを真剣に考えることが、居合道継正会の大きな目的でもあります。斬ること主体の居合から「人を生かす」居合への創造を目標とする「現代武道」としての居合を見つめ実行して行かなければなりません。
修業を通して、その技、その身体動作、その精神性を学びながら「現在武道における居合道」の創造を行って行くことに大きな意義があると考えています。そうでなければ居合修業は、単に趣味あるいは破壊思考の段階で止まってしまい、尊い日本文化の継承を閉ざすことにつながってしまうでしょう。